弥生時代
弥生時代には,むらのかしらが出てきました。また,身分の違いや,貧富の差も出はじめました。
豪族(ごうぞく)
豪族たちは各地にくにをつくり,一世紀ごろには,九州に100くらいのくにがありました。
卑弥呼(ヒミコ)
卑弥呼が日本の女王だったころ,日本は,倭(わ)と呼ばれていました。また,1000人の女子が使えていたと言われています。
仁徳(にんとく)天皇
大山(だいせん)古墳の大きさは,高さ35m長さが480mもあります。はにわの数も2万個もあります。
大和(やまと)朝廷
大和と河内は,豪族の中でも大きな古墳を作った豪族です。東北から九州までしたがえました。
大王(おおきみ)
大王は,のちに天皇と呼ばれ,たびたび中国の皇帝に使いを送ったと言われています。
平城京
平城京は,広い道路でごばんの目のように区切られていました。奈良に都(平城京)があった70年あまりを奈良時代といいます。
蘇我(そが)氏
蘇我氏は,物部(もののべ)氏を滅ぼし,さらに対立する天皇までも殺害しました。
聖徳太子
聖徳太子は,蘇我馬子とともに,中国や朝鮮をまねて天皇中心とした国を作ろうと考えました。また隋(中国)との国交を開きました。
推古(すいこ)天皇
推古天皇が女の天皇だったので,おいの聖徳太子が,かわって政治を行いました。天皇が女性であったり子どもであったとき,かわって政治を行う人を摂政といいます。
法隆寺
法隆寺は,7世紀後半に火災にあって再建されていますが,世界最古の木造建築物で,建築技術は中国や朝鮮から学びました。
小野妹子(おののいもこ)
中国が隋の時代に,国交を開いたり,進んだ文化を取り入れようと中国に行った人たちを遣隋使といいます。
中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)
中大兄皇子は,後に天智天皇になり,帰国し留学生らの協力で新しい政治の仕組みを作りました。
大化改新
大化改新で,これまで豪族たちが持っていた土地や人民が,すべて国家の直接の支配下になり,権力が天皇に集中した。
東大寺
ここの大仏は,手のひらだけでも3mもあり,完成するのに9年もかかりました。銅でつくった像に金メッキをしました。
聖武天皇
奈良の都は,唐(中国)の文化と,仏教の影響を強く受けた文化が栄えていました。
国分寺
これらの寺のおかげで,仏教が民間にも広がりました。
万葉集
万葉集には,農民など古代の人々の感情などが多く歌われています。有名な作者に柿本人麻呂,大伴家持などがいます。
阿倍仲麻呂(あべのなかまろ)
阿倍仲麻呂は,唐(中国)で高い地位につきました。
鑑真(がんじん)
鑑真は,12年目でやっと日本に来て,仏教を広めました。途中目が見えなくなってしまいました。
正倉院
正倉院には,聖武天皇が使用した道具や,当時の文書なども数多く保存されています。もともとは,東大寺の倉でした。
日本書紀
この本は,皇室や貴族の家に伝わった神話や記録などを中心にまとめられています。
平安京
都を奈良(平城京)から京都(平安京)に移した人は,桓武(かんむ)天皇です。これから約400年を平安時代と言います。
藤原氏
関白(かんぱく)とは,天皇にかわって政治を行う人です。このような政治を摂関政治と言います。
藤原道長
道長は,自分の人生を満月にたとえた歌を作り,華やかな生活をしていたことがわかります。
竹取物語
このころ,漢字のへんやつくりからカタカナが,漢字をくずして,ひらがなが作られました。
紫式部(むらさきしきぶ)
源氏物語は,貴族の世界を美しくえがいた物語です。かな文字で書かれています。
清少納言(せいしょうなごん)
この時代には,枕草子のような,女の人がかな文字で書いた優れた作品が生まれました。
武士
このころから,貴族の時代から武士の時代に変わっていきます。武士のことを侍(さむらい)とも言います。
源氏
武士の中でも,源氏と平氏が天皇の子孫であることから勢力を伸ばし,多くの武士をまとめました。
平氏
関東地方では,平将門(たいらのまさかど)が反乱を起こしました。政府は,それをしずめるのに苦労したようです。
平清盛(たいらのきよもり)
平清盛も藤原氏と同じように,娘を天皇のきさきにして,藤原氏と同じような政治を行ったので,不満を持つ人も増えてきました。
壇ノ浦(だんのうら)の戦い
最初の戦いでは,源氏は敗れたけれど,義経(よしつね)たちが一ノ谷で平氏をやぶり,ついに壇ノ浦で平氏を全滅させました。
御家人(ごけにん)
御家人は,自分の領地を守ってもらったり,てがらをたてれば,新しい領地をもらうことができました。御恩(ごおん)
一所懸命(いっしょけんめい)
一所懸命とは,武士が一つの場所を懸命に守ったということです。
源頼朝(よりとも)
頼朝が開いた幕府を鎌倉幕府といい,この幕府がほろびつまでの,140年間を鎌倉時代といいます。
いざ鎌倉
この言葉を言って,御家人たちは,幕府のために戦いました。これを奉公(ほうこう)といいます。
守護(しゅご)
守護は,それぞれの国で,軍事や警察の仕事をしていました。
地頭(じとう)
地頭の中には,力をのばし,貴族の領地をうばったり,農民にひどいしうちをした人もいました。
二毛作
このころ,村には刀や農具を作る職人があらわれました。また農業に牛や馬が利用されました。
北条時宗(ほうじょうときむね)
執権とは,将軍を助けて政治をする人です。モンゴル人が攻めてきたことにより,幕府の力がおとろえていきました。
元寇(げんこう)
この戦いで,幕府は,御家人にほうびを与えることができず,御家人の不満が高まりました。
後醍醐(ごだいご)天皇
後醍醐天皇は,天皇による政治を始めましたが,武士の反対が強く2年くらいで,終わりました。
足利尊氏(あしかがたかうじ)
尊氏の孫の義満が室町に屋敷を移し,そこを幕府として約240年間を室町幕府といいます。
足利義満(あしかがよしみつ)
義満の時代になると,朝廷は実権を持たず,幕府が政権をにぎりました。中国は明(みん)と呼ばれ,日本の倭寇(わこう)をおそれていました。
金閣寺
金閣寺は,義満の別荘として建てられ,全体にうるしをぬり,金ぱくがはってあります。
銀閣寺
このころの文化を東山文化といいます。
応仁の乱
この戦いで,武家の屋敷や,神社の建物が焼失しました。この後,たがいに領地をうばい合い,戦いは全国に広がりました。
戦国時代
戦国時代に大名どうしがあらそい,幕府の力がおとろえていきました。